2014/01/19

移動すること。



自分は大学決まるの遅くて、あんまり一人暮らしまで時間がなかった。
だから時間に追われて気付いたら京都。(笑)

一人暮らしはすごい楽しみだったんだけど、でも、引越し手伝ってもらって親帰る時
さみしかったー。ドア閉められたあと泣いた(笑)
学校なれんくて、関西の子まじ恐怖やった。いまは関西の良さ分かってきた。好きよ。

で、あれから2年経ってまた引越し。国内だし全然生きてけるけど、寮とかどんなかなー?最初はストレスためちゃいそう。よいフロアに恵まれたらいいな。ま、私がそうしてやる!な勢いで(笑)

今まではそんな行ったあとの環境のことばっか考えてたんだけど(2年前も)、最近何か今いる場所のことも考えてる。

1年後に戻るって事情もあるし、卒業とかの区切りでもないから余計に学校とか、参加してる団体とかのことを。

学校はあんま特定の人と一緒にいたわけではないし、留学行く友達も多かったからゼミとか置いとけば大丈夫としても、オーキャンは大きいなーと。

でも、自分が忘れられるのがこわいとか来年戻ってくる場所があるかなとか逆に離れられるわーいとかでもない。

何か、去年、“移動する子どもたち”について少し研究していて、
川島郁雄『私も「移動する」子どもだった』
(異文化間を親の都合とかで移動して、文化の狭間に生きる子どもたちのことについて書いてる)
っていう本によると、移動を繰り返す子どもたちにはその移動が分かった時から、少し先のことを考えなくなったり所属する学校などの環境や友人と距離をとったりすることがあるらしい。

それは例えば、クラスで次の学芸会の話し合いをしていても、「自分はその時もういないし」とか、友達との別れの悲しさが薄れるようにどうせあんまり仲良くもなかったし…
みたく振る舞うということ。

何だかちょっと自分で言うの変かもだけど、そんな感じになってたかなって?

忙しくてそれ言い訳にしてたのもあるけどあんなにすきだった場所から自分で離れようとしてたのかなー?と。なんにつけても、どうせいなくなるしなってどっかで思ってしまっていたかな。

いや、あたしの場合はただのいい訳か(笑)
とりあえず、逃げずに最後まで全力で関わりたいと最近思わされたのでした。
他人事のようにほったらかしてしまってごめんなさい。
本当に組織って、人をまとめるって難しいんだな。

あっちで組織論とか
リーダーシップ論とかもお勉強してくる。

移動するって本当に大きいと思った。
日本国内の移動でも環境とか文化って全然違うし、転勤族の子とかも大変なんだろうなっていまになってその気持ち考えてみたらもっといろんな付き合い方できたなとか。

新しい生活は不安もあるけど期待もある。
せっかくだから楽しみたいのだ。
だから今いる環境も最後まで大事にしなきゃ。

てか、引越しー。
一切しておらぬー。
ちょいちょい始めます。

長ーくなってしまいました。


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